カンタンFX用語解説

クロスレート

■暗い月曜日(Gloomy Monday)  月曜の朝、また通勤電車に揺られる一週間が始まるのかと思うと憂鬱な気分になる。さらに最近は、ほかの曜日よりもさらに早く家を出なくならなくてはならない。電車が頻繁に遅延するからだ。そして今朝も駅に到着するなり「人身事故のため、ただ今大幅にダイヤが乱れております」というアナウンスで、また誰かが線路に散ったのだと知る。 ■「行ってらっしゃい! 気をつけてね!」 自殺者3万人の時代。完全失業者数や負債総額との間に不動産投資 があるようだが・・・・・・  子供のころ、会社に向かう父の背中にCFD 「行ってらっしゃい! 車に気をつけてね!」と声をかけていたことを今でも覚えている。しかし、1997年を境に日本の自殺者総数は前年の2.7万人から一気に1万人も増え、3.7万人となり、現在も高水準で推移している。また、自殺死亡率(人口10万人対比)はバブル崩壊後の93年以降、現役世代の50代が40ポイントを超えている。(厚生労働省白書16年版より)。  一方の「車に気をつけてね」の対象である交通事故死者は年間1万人前後。これでは子供が父親を送り出すときに、「車に気をつけて!」ではなく、「自分で死なないでね!」と言わなくてはならない、ぞっとする光景が日常になってしまう。  前出の白書にも紹介されているが、男性自殺者と完全失業者数や負債総額の間に優位な相関関係を認める研究がある。(産業科学大「労働者の自殺に関する研究II」)。「生きがい」、「収支家計」、「家族関係」、「健康」等にストレスを感じている人の割合が、失業率が増加する以前に高まっていると自殺率が増加するようだ。(国立社会保障・人口問題研究所) ■「男は3基のエンジンで飛んでいるジェット機だ!」  それは以前の職場でバリバリ働いていた先輩の言葉で、「なるほど」と思い今でも覚えている。曰わく、3基のエンジンとは「仕事」「金」「家族」だそうだ。何かで財産を失ったとしても、家族に支えられ仕事をがんばれば取り戻せる。離婚などで家族が壊れても、金と打ち込むべき仕事があれば自分自身はやり直せる・・・・・・。などというものだ。しかし、3基のエンジンのうち2基が同時に停止してしまうと男は墜落してしまうから、そうならないように気をつけるのだと説かれた。何か、前出の人口問題研究所の 「生きがい」、「収支家計」、「家族関係」という人を支えている項目とよく似ている気がする。 ■画一的価値観に支配されていないか?・・・・・・マズローの刷り込み  人は努力を重ねて「生きがい」「収入」「家族」などを段階的に手に入れていく。言い換えれば外貨預金 を登るごとく一つ一つ自己の欲求を満たしていくわけだ。  それを体系的に表したのが、アブラハム・マズロー(1908〜1970)の「欲望5段階説」である。第1段、第2段の「生理的欲求」「安全欲求」は人としての最も根本的な欲求であり、「衣食足りて礼節を知る」の基本でもある。しかし、昨今のデフレ不況やそれに伴うリストラや倒産はこのレベルにまでインパクトを与えることになる。つまり、「食えない」という状況に陥るのだ。  第3段階の「親和欲求」は他者と関わり、その層(集団)と同質化して同じように振る舞うことに喜びを見いだすものだ。しかし、リストラによる会社からの強制退去や倒産などは、所属していた集団自体そのものの消滅と、収入減によるいわゆる「中流」や「中の上」と思っていた階層からの転落を意味し、「親和欲求」に大きなインパクトを与える。

 第4段階の「自我欲求」は自分が集団から認められ、投資信託 されることに喜びを見いだすことを意味するが、まさにこのレベルに達している人が、その集団(企業)からリストラされる、もしくは集団そのものが消失した場合など拠るべき縁がなくなり、計り知れないインパクトに襲われることになる。  だが、最後の第5段階の「自己実現欲求」だけはほかの欲求と少々意味合いを異にする。それは自分の能力を発揮し、創造や自己実現を図ることに喜びを見いだすことを意味している。もし、能力の発揮や創造・自己実現を、「会社」という枠の中だけに固執しているのならもはやどうにもできない。しかし、それを「社会」というもっと広い枠で考えることができれば、リストラや倒産などという憂き目を見ても、また別の所で自己実現を図ろうと頑張れるのではないだろうか。 ■5段階説は人生の修行なのか?  問題はマズローの法則はあまりに有名であり、その理論に社会通念が大きく影響を受け、個々人にも強く刷り込まれていることだ。さらにこの5段階説は「飛び級」なし。登山のごとく、一段一段上って行かなくてはならない人生の修行なのだ。  筆者は一度それをバラバラにし、一気に5段階目の「自己実現欲求」に特に注目した価値観を今まさに考えてみることをお勧めしたい。 ■「意味探求人」モデルというものも考えてみよう  一気に5段階目の「自己実現欲求」に特に注目するというのは、実はヴィクトール・E・フランクル(1905〜97)の考え方があるからだ。その理論は「人間は本来的に意味探求を目指す存在なのであり、自己実現は人生の最終目的ではない。そして、人間は真・善・美、等の価値追求と"自己超越・他者愛"を目指すものである」。というものである。何やら哲学的であるが、要するにマズローが最高位に置いた「自己実現」は企業・職業を通して成される場合が多いが、「意味探求モデル」では地域社会や趣味活動を通して成される場合が多いという違いがあるというようなのだ。  「我慢してコツコツ修行して上っていかなくても、好きなことをまず考えてやればいいんだよ」と言われているようで救われる。そう。会社での地位向上や会社を大きくすることだけを考えるのではなく、そもそもの「自分にとっての生きる意味」をよく問い直してみることが重要だと問いかけられているのだろう。 ■生きろ!  前述の先輩の「男は3基のエンジンで飛んでいる」という言葉も、よく考えれば多分にマズローが刷り込まれている。エンジンは1基でも動いていれば飛び続けられるかもしれない。全てが止まってしまっても、「生きる意味」を見つめ直せば、「金・仕事・家族」以外の別のエンジンが見つかって人生の飛行を続けられるかもしれない。  また、自分の希望するものに向かって一段一段階段を登る必要もない。これだけ世の中とそのルールが変わってしまっているのだ。「飛び級」でも「近道」でも何でもできることはすべきだろう。人は皆、画一的な価値観に縛られる必要はなく、人にはそれぞれの生き方があるのだから。  

■お盆休みは自らのナレッジ増強のチャンス?  この原稿を書いている時期、世間はいわゆるお盆休みに入っていて事務所の界隈は静まりかえっている。「お盆前にお願いしますね!」といわれていた仕事も片付いており、非常にリラックスした時間が流れていく。  こんな時こそ、自らのナレッジ(知見)をアウトプットばかりしている日常業務を離れて、各種書籍や雑誌からインプットするチャンスだと乱読行為にふける。しかし、ふとその中で昨今、人々の特に若年層の"情報取得の方法"が大きく変わってきていることに気づく。 ■情報の"ストック"の方法を少し整理してみよう  この休み中に筆者がやっていることは、"ストックの情報"を取得する作業だ。人によって方法は異なるかもしれないが、とりあえず自己分析してみると二つに分類できる。  まずは、普段気になって購入したものの、とりあえず書棚に収めただけになっているビジネス書・学術書の類に手を出し、ざっと斜め読みする。「隅々まで読まねば」と思ったものは、熟読する。これはその本の情報を"自らのナレッジに変換して頭の中にストック"しているのだ。一方、斜め読みの後、「何が書いてあったか覚えておき、必要な時に読み返せばいい」と、"リファレンス(参照)情報だけをストック"する場合もある。各々、ストックされた情報の深さは違うものの、その行為によって頭の中に新しい引き出しが作られているのは間違いない。 ■インターネットの検索に依存しすぎる危険性  最近気になっていることは、前述のような"情報をストックする"という習慣が特に若年層から少なくなっている気がすることだ。インターネットの普及によって、必要な時に"検索"をすれば、自らの頭の中にあるナレッジやリファレンス情報を思い出すより遙かに早く必要な情報にたどり着ける。検索エンジンの性能向上によって年々高速化し、検索結果は1秒もかからず候補が羅列される。一方、頭の中のナレッジやリファレンス情報は、元からインプットしておく必要があり、それを思い出すことも頭が固くなってきている現れか、年々低速化傾向にある。どちらが楽かはいうまでもない。  しかし、検索エンジンによって表示された結果は、果たして自分にとって価値のある情報なのか。必要としている情報との適合性はどの程度あるのか。それらは羅列されてしまっている以上、一つ一つ開いて確かめていくしかない。しかし、その判断の基準軸が自らになければ、誤った情報や不適合な情報を取得してしまうことになる。その結果、質の低い情報を使ったアウトプットは、同じく質の低いものになってしまう。

■"フリーな情報"の氾濫 フリーペーパーに慣れてしまうと、「情報の対価」への意識が希薄になりがちだ  インターネットから情報を得ようとして、結果的に質の低い情報を手にしてしまうリスクが発生する。原因は"情報をストックする"という習慣が普段からついていないからだ。なぜ、ストックする習慣がなくなってきているのか。それは、世の中に"フリーな情報"が氾濫し、それらはフリーであるが故に、読み捨て、つまりストックされないからだろう。  最近新聞を購読していない若い社会人が増えている。若いといっても30才前後の中堅クラスまでだ。新聞代を払わずに、会社に来てからニュースサイトをブラウジングして済ましてしまうのだ。それも何か自分の仕事に関連があるか、興味を引かれたもの以外はヘッドラインをクリックせずにトップページを斜め読みするだけのレベルだ。だから、「今日の日経に書いてあったけど・・・・・・」と話しかけても「ああ、何かありましたねぇ」レベルで終わってしまい、話が深まらない。記事本文を読んでおらず、情報が頭の中にストックされていないからだ。  自分の仕事に関連した専門誌などを購読しているという人も減っている。せっかく会社が定期購読契約してくれていて、マガジンラックに並べてあっても手に取る人は少ない。代わりに彼らは何を読んでいるのか。街で受け取ったフリーペーパーである。 ■フリーは実はフリーではない!  WEBサイトやフリーペーパーは無料であるが故に気楽に見ることができる。そもそもこの現象は、"情報の対価を支払う"という意識がだんだん希薄になってきている現れではないか。しかし、気づくべきなのはお気楽に無料の情報に接している間にも自分があるものを消費しているということだ。それは"時間"だ。  情報がフリーであれば、自らの可処分所得の減少を防ぐことには貢献するだろう。しかし、誰しもに等しく与えられている24時間という時間の中の、睡眠・食事・仕事などの必要不可欠な時間から残された"可処分時間"をどう使うかで、仕事なり何なり、自分のアウトプットの質が変わってくることに気づくべきだろう。フリーな情報に接している間にも、自らの貴重な可処分時間は消費されているのだ。 ■情報の価値に関する教育の必要性  WEBサイトの情報やフリーペーパーがいけないとか、情報の価値が低いといっているのではない。それらの中にも良質な情報や貴重な知見が隠されているはずだ。しかし、そもそも情報の価値を判断する軸が自らの中に育っていなかったら、それすらも読み流してしまうことになる。  そうならないためには、情報の対価を払い、世間や自分の業界でいわれている"良書"や"必読書"を読み、情報をストックする判断軸を身につけることが必要だ。まずは今、取得している情報の価値と自分の可処分時間の価値が見合うものなのかを一度考えさせる必要がある。

 一般に言われている「2007年問題」は「2007年に団塊世代が定年退職のピークを迎える。彼らが蓄えてきたナレッジやノウハウをどうやって企業と後継者に残すのか」ということだ。これは日本のすべての産業で共通の問題となっている。しかし企業の多くが「5年間の定年延長」や「嘱託で5年間程度再雇用」など、「問題を2012年に先送り」しているのが現実だ。 時代についていけない経営者たちはどうすべきか 高齢になった創業経営者が経営にしがみついても良いことはない  今回紹介する「もう一つの2007年問題」は少し趣きが異なる。「引退する」あるいは「引退したい」のは経営者自身なのだ。こうした傾向は、中小から中堅企業、特に流通系オーナー企業に顕著だ。彼らは団塊の世代よりも十数歳上。高度成長期に企業を立ち上げ、拡大路線をひた走ってきた。ふと気づくと70歳を超えている。かつては「生涯現役」と宣言していたものの、昨今の市場や生活者の消費行動の変化に行けなくなっていることに気づく。  そこで頼りにしたいのは、団塊ジュニアよりも十数歳上、40代前半〜中盤の二代目である。社外で修行に励んできた人もいるし、父親である経営者の下でずっと働いていた人もいる。初代経営者としては、彼らの「若い経営感覚」に委ね、引退したいところだ。しかし、経営を禅譲する決心がなかなかつかないのだ。 思い切って古参役員もろとも退任の決断も  外で修行してきた二代目は、外の流儀を持ち込もうとする。しかし、初代は自分の「勘と経験と度胸」で企業を牽引してきた感覚とは合わないものを感じてしまう。確かに昨今の市場や生活者の消費行動の変化に対応しようとした場合、店舗デザインや品揃え、パッケージデザインなどに手を入れようと考え、初代にそう上申する。しかし、初代はどうも納得できない。  この手のオーナー企業の問題は「管理会計」にあることが少なくない。初代の経営の本質は大体「勘と経験と度胸・丼勘定」だ。丼勘定も商売が拡大期でキャッシュフローがうまく回っているときには通用する。 しかし「金融ビッグバン」の柱として、2003年3月決算期からキャッシュフロー計算書の作成開示が求められるようになった。中小〜中堅企業も融資を受ける際などには必須のものとなった。

もはや、丼勘定、もしくは損益計算書だけ見て済む時代ではない。が、二代目がその知識を持ち合わせているケースは意外と少ない。  この場合、引退したいと考えている初代には気の毒であるが、外部からも新しい会計知識を持った人間を入れ補強しつつ、二代目を初代の元でしばらく修行させる必要があるだろう。  一方、ずっと父親の下で修行をしてきた二代目の場合、「勘と経験と度胸」もおぼろげながら受け継ぎつつある。しかし、初代と同じことをしても意味がない。自分なりの考えでマーケティンや会計分野にも外部の意見を取り入れながら改革に踏み切ろうとする。  問題は古参の初代の取り巻き役員たちだ。「それはおかしい」「初代はそんな判断はしなかった」など口をはさまれれば、二代目は身動きができなくなる。こんな場合、初代は腹をくくって一気に引退してしまい、取り巻き役員たちも殉死(退任)させるぐらいの決断が必要だ。 二代目の年齢も考えて引継ぎのタイミングを  初代から二代目に引き継ぐ際に重要なのは「一度会社をバラバラにして組み立て直す」という設計をしてみることだ。それは「リストラクチャリング」という意味ではないし、「BPR(Business Process Reengineering)」というプロセスレベルの問題でもない。「自社は何のために存在し、どのような顧客が自社にとって望ましい顧客(戦略的ターゲット)であり、さらにその顧客に対してどのような価値を提供するのか」という根源的な部分から定義をし直すことだ。  最初に述べたように大企業の多くの2007年問題への対応は「先送り」しているだけだ。しかし、オーナー経営者が感じている「自分の感覚と市場・消費者がズレている感覚」はほぼ間違いない。例えば5年間先送りしたら、二代目も脂の乗った時期を過ぎてしまうかもしれない。それだけに「経営者の2007年問題」こそ、先送りが許されないのだ。